我が家のキュウリ。

我が家のキュウリ。今年の夏。このきびしい環境の中で彼らは彼らなりに、時期を見て、チャンスを見てチャンスをつかみ取り実った。まもなくやってくる姪っ子に収穫させるために大きくなっていても、そのままにしている。とても頑張っているキュウリ。お隣にあるゴーヤになろうともせず。キュウリはキュウリあるがままの姿で正直に生きる。堂々としている。お隣のゴーヤは実ることができないまま、それでもチャンスを待っている。ゴーヤはゴーヤなりに頑張っている。精一杯その与えられた環境で、雨のせいにしていない。日照不足のせいにしていない。「何か」のせいにしていない。今を懸命に生きている。自分のやるべきことを今やれることを精一杯にやっている。だから美しい。

 

 

自分の容姿も親も産まれる前に自分で決めてきています。身体の特徴、顔かたち。身長、目の大きさ、痣がある、ほくろがあるなど細部にいたるまで自分で選んできます。その容姿でその肉体で今世を生きていくことを学ぶために。人間はうまくいかないことがあると、自分を反省せずに「何か」のせいにする。字画だったり、遡って負の部分がある先祖を探しだしたり、霊だったり祟りだの、肉体だったり容姿だったり、家族だったり友達だったり、上司や部下だったり同僚だったり、環境だったり病気だったり、物だったり音だったり、自分以外の「何か」のせいにする。だからうまくいかないんだと。何かのせいにして生きていると大切な人を一人ひとりと失っていく。こうゆう自分だから理解してくれという生き方より、相手を理解することに生きると、何かのせいにすることは減っていく。いずれは消えていくんじゃないかと思っている。相手を理解しようとすると、相手を思いやる行動に変わる、相手を思うが故に、自分の至らない部分を変えようとする。できない理由を探しては、あれこれつけ足していくのではなく、理解してくれと甘えて頼り依存して生きるのではなく、自分を改善できる方法はないかと、できるようになる方法を少しでもみつけては、そのために動き出す。精一杯の努力をし、出来る限りのことをやってみたら、できなかったとしても何かのせいにすることがない。すべてが自分が選んできたこと。そして年数を重ね、自分が発した言葉、行動、想念の結果が目の前にあるだけであり、自分がそれを求めた結果。理解者ばかりを求めれば、人が限られてくる。一人一人減っていく。前向きに生きる人は先へ行く。波長が階層が変わるから、波長があわないから一人一人消えていく。「何か」のせいじゃない。その場所でその環境で、その肉体で精一杯できることをする。精一杯に生きる。挑戦をする。自分はこうゆう人間だから、こうゆう環境だからと決めつけない。変化を恐れずに歩み続ければ変われる。未熟すぎる自分を磨く。日々の小さな努力を積み重ねて生きていく。私はそう思っている。

 

今日は弟が神奈川からやってくる。集合命令がかかります。25日には7回忌になる祖母のお墓参りへ、みんなで大分へ向かいます。

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