わんこが亡くなったという知らせに、朝届いて、ショック。連れてきてほしいと頼んでいたからさ、半年くらい前からね。膝の上に寝かせたかった。
ちょうど、昨日父と話していて、父の身体に限界がきていると、本人が言葉にしたほどなので、私が想像する以上のことだとおもうのね。言葉にしたということは、相当なんだと思うのね。気力でどうにか立っている状態だろうと。そう長くはないよなぁって、いう感覚はここ一年感じているので、会えるときには会うし、手紙も書くし、電話もするし、応援する。
とにかく、今のたまっている疲れの分のみだけでも、疲労回復できるもの、添加物も含まれていなくて、身体に悪くない物で、食べるもので何かないかなぁって探していて、見つけてサンプルを送ってもらうことにしたけれど。
その犬も老犬であり、また、もともと脳に異常のある犬だったので、普段が犬らしくかけまわるとかなかったので、若くても、寝たきりのようなもので、吠えることも無く、静かに生きた。
生き方はいろいろあって、その中で、ひとつひとつ、大事にしないといけないなと感じますね。感情で見るのではなくて、かわいそうって感覚では私は、見ることは本当に少ないので、ある意味冷たいと思う。その中で、自分に出来ることを一生懸命したいなって思う。じゃぁ今できることは、とそっちに切り替える。
かわいそうでは解決しないよね。どうゆう状況であれ、それと共に生きているわけで、その姿に対して、自分に出来る事って何だろうって、そっちに意識がいくので、かわいそうだとか、涙目で見ることは、少ない。一瞬その感情があっても、すぐ切り替え、じゃぁ自分には何ができるのかと、そっちに目を向ける。
1人1人の最初から決まっている寿命、それを縮めてしまうのは、食べ物になってしまうけど、この世の旅立ちの形にしても、それぞれ違って。余命がわかる人は、その後どう生きようかと考え行動する時間もあって、突然の事故の方もいるし、事件もあるし、最後の形はいろいろあるだけのことで、その最後の形が大事なことではなくて、それまでを、どうゆう生き方をするのかが大事なこと。
犬のように、普段から寝たままの状態で、いつもの同じ姿なので、当たり前の姿だと声をかけることもなく、触れることも無く、気づかれにくい状態もあるだろうし、だれもが、明日もその姿があたりまえにあるという保証はないわけです。
その人、その犬、動物の、自分と関わる人生の中で、その人に対して、今自分ができること、もしかしたら、会話することかもしれないし、笑顔かもしれないし、触れることかもしれない、それぞれ違うと思うけど、それに失敗もあるだろうし、後悔もあるだろうし、世話焼きすぎるもあるだろうけれど、今の自分にできること、相手のことを思っての言動は、想いもね、大事にしないといけないね。
常に、相手がいて当たり前ではなく、当たり前の姿と思うこと無く、一瞬一瞬、丁寧に接していくこと、
ひとつひとつ、今日という日を大事にしないといけないなと感じますね。
ショックで鼻水垂らし、荷物を受け取ったら、出かけないと行けないので、化粧していたので、パンダ目になっとるし。
落ち着かなきゃね。
で、荷物まだだしね。着払いになっとるのでよ、ひたすら待たないと行けないのよね。頼まれた人様の荷物。
自分宛の荷物も今日と明日はどかどか届くんだけど、クリスマスバーションの品物も作らないとで、そっちが届くとよ。
荷物受け取りも、不在中で、再配達ばかりになりそうで怪しいけど、着払いだけは受け取らないとね。
しかしまぁ
ショックは続くね。